友人の死
北海道の移住後にできた大切な友人の一人が亡くなりました。
一緒に山に行って山菜を採ったり、日常の会話をしたり、北海道の色々や昔のことを教えてくれたお年寄りの方でした。
うちのワンコさんのことも孫のように可愛がってくれました。
どこか私と似たところもあり、気が合いました。それを相手も感じていたのかもしれません。
病気を患っていましたが、それでもその死はあまりにも唐突にやってきて、受け入れるのは困難でした。
グリーフケア
人は必ず死にます。
これから先、科学技術が発展した場合は不老不死も可能になるかもしれませんが、少なくともしばらくの間は人は必ず死ぬでしょう。
身近なヒトの死は大きな喪失と悲しみを伴います。
きちんとその悲しみに向き合わないと、心が壊れていきます。
大きな喪失や悲しみに直面した時、「グリーフ(悲しみ)ケア」と言って、悲しんでいる自分自身をいたわる必要があります。
悲しみに対してきちんと向き合わないと、「心」や「体」が壊れていきます。
以下は自分でできる有効なグリーフケアの一例です。
・手紙を書く
思っていることを書き出すことで心の整理が出来ます。きちんとした文章にならなくとも構いません。その時にしか書けない思いや言葉があります。
・誰かにその人の思い出を語る
一番良いのはその人のことをよく知っている人が一番良いですが、いない場合は話をきちんと聞いてくれる人であれば大丈夫です。もし身近にいない場合はカウンセラーなどが最も適任です。注意点は余計な一言などを言ってくる人を選ばないことです。きちんと「傾聴」できる人を選びましょう。
・その人との思い出の場所を訪れる
もしその人と一緒に行った場所があるのであれば、その場所に行くと良いです。その時の思い出や感情が次から次へと思い出されることでしょう。
・思い切り泣く
悲しみの感情に蓋をせず、思い切り泣いて下さい。叫んだってかまいません。すぐには泣けないかもしれませんが、自然と涙が出てくるときがやってきます。
勿論泣きたくなければ無理に泣く必要はありません。泣いていないから悲しくないということでは全くありません。
・亡くなったヒトと語り合う
例え亡くなったとしても、そのヒトは自分の心の中に生き続けます。その自分の心の中のヒトと対話してみましょう。現実での会話だけが「話す」ということではないことに気が付くはずです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
こうやってブログに書いたりすることで、私自身喪失を受け入れたり、悲しみを表現しているのだと思います。
これから先も様々な悲しみや喪失にたくさん遭遇することになるでしょう。
それが生きるということの一つでもあると、私は考えます。
それでも、どんなにつらく悲しくとも、途中で投げ出さず、友人のように最後までしっかりと生きていくことを選べるような人生を送っていきたいと思います。
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