ryuchellの死
自分らしく生きようとしていたタレントのryuchellが亡くなりました。
本当に悲しく、同時に悔しさが沸き起こります。
死についての原因については、ネット上の誹謗中傷など、様々な推測がされると思いますが、本当のところは本人にしか分かりません。
しかし、「自分らしく生きることの難しさ」について深く考えずにはいられません。
生きにくい日本
世界にはたくさんの国があります。私自身いくつかの国を回ってその国の文化を肌で感じてきましたが、多民族国家ではない日本はやはり同調圧力が強く、異質なものを受け入れにくい土壌であることを感じてきました。
私自身北海道の片田舎に移住したり、ステレオタイプの「世間一般」というものからはほど遠いこともあり、「多様性」や「自分らしさ」という言葉には自然と意識が向きます。
そんな中、自分らしく生きようとしていたryuchellの死は大変悲しく、やりきれない気持ちでいっぱいです。
自分自身を抱きしめる
人が苦しくなるのは、疎外感や孤独感を感じた時です。
そういったものを感じずに生きられればいいのですが、世の中は自分が思う様に自分自身のことを見てくれたり受け入れてくれたりしません。
そして世の中や他人が自分を大きく受け入れてくれるのは、「評価されたとき」です。
子供の頃から、親に始まり、級友、教師などの周りの人間や大人に評価された時に、自分は受け入れられているんだと感じたことも多いでしょう。
さらには、好意を寄せたから人や、最近ではSNS上でも「いいね」やアクセス数などでも評価されていることを実感し、「自分は受け入れられているんだ」ということを実感すると思います。
大人になってからも、職場、交際相手、結婚相手など、他から評価されることによって自分の価値を実感することが多いと思います。
しかし、こういった「他からの評価」に依存しすぎてしまうと、そういったものを得られない時、または攻撃やバッシングを受けた時に、自分自身に価値が無いように感じてしまうようになります。
では、どうやったら「他からの評価」に依存し過ぎずにいられるでしょうか?
自分自身を愛する
それは、
「自分自身を愛する」
ことです。
何かができたり、誰かに褒められなくても、誰かに馬鹿にされても、攻撃されても、まずは自分自身をとことん愛してください。
言葉では簡単ですが、実際にそうするのは大変難しいです。
特に子供の頃から、何かで賞を獲った時やテストの点が良かった時など、優れていた時だけしか褒められたり、愛されなかった、「条件付きの愛」しか与えてもらえなかった子供時代を過ごしていると大変難しいです。
「何ものでもない自分」、「理想ではない自分」を愛することの難しさを感じると思います。
しかし、どんな自分でも、価値が無い、意味が無いなどと思わず、認めて、愛して、守ってやってください。
目標に向かったり、努力するのはそれができた後です。
とにかく、まずはひたすら自分自身を優しく抱きしめ、自分を愛してやってください。
ただ、これは本当に難しく、多くの人が出来ずにいます。
なりたい自分、思い描く姿とかけ離れた自分を受け入れるのは容易いことではありません。
しかし、自分自身を愛せない限り、他人を愛すことはできません。
その結果として、刃が自分自身や他人へと向かってしまうのです。矛先がどちらに向くかはその人の育ってきた環境や取り巻く状況に寄ります。
孤独にあえぎ、他へと刃を向けてしまった凶悪犯罪者を、私たちはたくさん知っているはずです。
まとめ
今回はやり切れない、悲しい記事となってしまいましたが、どうしても書かずにはいられませんでした。
少しでも、自分らしく生きられず苦しくなっている人の目に留まってくれることを願いながら書きました。
「愛で溢れる世界になって欲しい」
あなたのその願いは自分自身へも向けて欲しかった。
そう思わずにはいられません。
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