「マイノリティー同士だからといって気が合う訳ではない」。気の合わない人間への接し方とは?

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マイノリティー同士が気が合う訳ではない

私は「HSP」や「マルチポテンシャライト」のように、マイノリティーというカテゴリーに属している人間です。

しかし、だからといってそういったHSPやマルチポテンシャライトのような人たち、あるいはその他LGBTQといったマイノリティーな人たちとばかり気が合う訳ではありません。

移住も増えているとは言え、マイノリティーのカテゴリーに入るでしょう。

しかし、私はどちらかというと、移住者よりも、地元の人達との付き合いの方が多いです。

移住というマイノリティーな要素が共通でも、それだけで気が合う仲間とはなり得ません。

人間が発展した理由

人は協力することによって発展してきた動物です。例えそれが見知らぬ他人とですら協力することができます。

それこそが他の動物と違う、人間ならではの特徴で、この地球を席巻してきた大きな理由です。

なので、自分と同じような境遇や立場の人は、より親近感が増し、協力し合うということに繋がっていきます。

出身地を聞いて、自分と同じだと親近感がより増した経験を持っている人も多いはずです。

しかし、だからと言って、その相手と気が合うかどうかは分かりません。

協力できるということと気が合うということは別問題です。

勿論、同じような立場や経験をしていると、共感できる部分もあるかもしれません。

しかし、イコール「気が合う仲間になりうる」とは限りません。

まさに「移住」が、それに当てはまります。

逆に同じカテゴリーや境遇なのに、「なぜわからないんだろう」と感じたり、相手に対して必要以上に不快に感じることもあるかもしれません

私自身の話をすれば、どんな立場や、どんな境遇であれ、相手に対して思いやりを持てない人間とは、絶対に付き合いたくありません。

どんな立場であれ、優しい人は優しく、優しくない人は優しくないのです。

勿論これは、私の基準であり、他の方には当てはまらないこともあるでしょう。

それぞれの正義がある

結局、それぞれの正義がある訳です。

これはマジョリティー側にも言える訳です。

ステレオタイプなことを信じていたとしても、その人にとってはそれが正義で、信条になってしまいます。

ロシアのウクライナ侵攻や、宗教戦争なども、立場が違えばそれは正義となってしまうこともあり得る訳です。

それこそが対立の根源です。

他人に対してできることはない

自分と違う価値観の人間と遭遇した時、正直批判したくなる時もあります。

自分が言っていることが正しい、もしくは為になる、役に立つなどと言いたくなる時もあるでしょう。

特にHSPやマルチポテンシャライトの人などのマイノリティーは、そういった場面に遭遇してしまうことも多いと思います

しかし、そんな時声高に叫ぶことに意味はあるのでしょうか?

個人で出来ることは本当にたかが知れています。

仕組みなどを変えるならまだしも、人の考え方に関しては、考えていない、または全く違う考え方の人間にいくら言っても、言葉だけでそれを信じて、考え方を変えてもらうことは難しいと思います。

近しい間柄で、そういった話し合いができる人ならいざ知らず、考え方や行動が合わない、または聞く耳を持たない人に対する接し方は、

「その行為を自分はやらない」

「気の合わない人間とは距離を置く」

一個人として出来るこれ以上の方法は無く、結局はそれだけでいいのではないかと私は思います。

それは優しさを備えたマイノリティーの、防御策ともいえるものかもしれません。

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